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人や物とのコラボレーションで
いい写真がとれた時が幸せ―どのような媒体で何を撮影されているのですか? お得意の分野や被写体を教えて下さい。 雑誌や広告媒体を中心に商品・風景・人物・イメージ撮影などを行っています。得意分野は商品撮影、イメージ撮影ですね。ジャンル的にはSAVVY(京阪神エルマガジン社発行)などの女性誌が多いのですが、最近は大人向けの男性誌の仕事も増えてきました。時代の流れでしょうか、ダイエットやウォーキングなど健康関連の記事も多いんですよ。おかげで僕自身、健康管理に気をつかうようになりました(笑)。
―いつ頃から写真やカメラに興味をもたれたのですか? カメラマンを志されたキッカケを教えて下さい。 中学1〜2年生の頃、鉄道写真に凝っていた兄がカメラを宝物のように大切に戸棚にしまっていたのを見て、「なんだかカッコイイ!」と思ったんです。それがカメラに興味を持ったキッカケ。
その後、父から使い古しのカメラをもらって撮影開始!・・・です。最初は雑誌の写真を手本にして友人や近所の寺、公園、町の風景などを撮っていましたが、手本どおりにできあがってくるのが楽しくてハマったんですよ。
高校時代は文化祭のライブ風景や高校野球などの写真を撮って、
「本格的な写真を撮れるヤツがいる!」
と友人たちに喜んでもらっていましたね。でも、プロのカメラマンになろうと思ったことはありませんでした。大学は写真学科でしたが、趣味の延長のような感覚でしたよ。坊主になろうかと考えていた時期もあったなぁ(笑)。
―そんな井原さんが、プロのカメラマンになろうと思われたのは、いつごろですか? 就職活動時の運命の出会いがキッカケですね(笑)。4回生になっても、カメラマンになるつもりもなく、就職に悩みながら卒業制作に取り組んでいました。そんな時、僕が卒業制作で手本にしていた写真の作者を紹介していただいたんです。実際にその会社を訪問してみて、この会社に行くしかない! とピンときてね。
―現在フリーとして活躍されていますが、独立された動機は? 結婚かなー、うそ、冗談(笑)。最初の就職先で3年間勤務した頃、知人からスタジオ設立の話があったので大阪に戻って来ました。残念ながらその話は流れてしまったから、1年ほど友人の紹介で内装工の仕事をしていました。
いやあ、大工仕事は面白かったですねぇ。その道を続けるくことも考えました。ただ、結婚の機運が高まって、進路を原点にもどって考えてみた時、「僕にはカメラ1台と身体ひとつしかない、何かをスタートさせるのなら写真でやっていきたい!」 と思ったのです。妻は顔面蒼白でしたけど(笑)。カメラマンとして食っていけるようになるまで1年はかかると言われましたが、がむしゃらに働いて、半年くらいで軌道にのりましたね。
―お仕事をする上でのこだわりやポリシーは? 自分のモチベーションやテンションを高く保つように心がけています。もともとテンションは高い方ですが(笑)、周りを巻き込んで場の雰囲気を盛り上げていくことがいい作品につながると思っています。関わる人たちとのパランスにも気を配っていますね。いいものを作るためには協調が必要ですから。
―カメラマンとして尊敬する人、目標にしている人はいますか。影響を受けた作品などを教えて下さい。
影響を受けたのはIMAの師匠、宮原康弘さんです。スーパードライやハーゲンダッツの広告写真を撮影されていました。やさしい光の使い方、食品のシズル感の作り方、大学で専攻した物理の知識を生かした撮影装置など、学ぶことがたくさんありました。3年間、師匠の下でやっていて本当に良かったなぁ。
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P R O F I L E
いはらかんすけ 1971年明石市生まれの宝塚育ち。現在、大阪府豊中市在住。大阪芸術大学写真学科卒業。中学生の頃からカメラが趣味で、街の風景や学生生活をモチーフにした写真が友人の間で好評だったとか。
大学卒業後、株式会社IMA(現amana)に入社、宮原康弘氏のもとでイメージ撮影を中心に撮影技術を学び、27歳の時に大学時代の仲間とATTIC
still photo studioを設立。現在、関西の女性誌、タウン誌を中心にフリーカメラマンとして活躍中。趣味はテニスとミニカーのコレクション。2人の息子さんのパパでもある。
●URL●
・個人ブログ“engawa”:
http://engawakan.exblog.jp/
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